Aug 24, 2010
スポーツクラブ三日坊主にならない方法
同じスポーツクラブに複数回参加して、2回ともあまり通っていないまま脱退の経験があります。恥の生産もなく、同じスポーツクラブの第三登録をしたのですが、その加入後、7年間通い続けて成功しています。それも、平均週3日ペースを維持することです。秘訣は、参加することができるプログラムを見つけることが。一人でする教育ただ飽きてしまうのです。エアロビクスなどのプログラムに参加し、徐々に慣れて楽しめるようになっています。サッカーユニフォームだが、ズボンは1950年代まで正確に膝まで届くほどの長さでした。 1960年代から1990年代初頭あたりまで、ズボンの長さは、ほぼお尻の下ギリギリの長さでした。それが1990年代の中盤あたりで、長さが長く、現在では1950年代から、正確には膝まで届く長さに戻っています。シャツに関しては、現在はスポンサーが入るのは当然ですが、これらのシャツスポンサーが入るのが定着しているのは、1980年代まで待たなければなりませんでした。私はサッカーのユニフォームを、歴史的な解釈把握すること自体が面白く感じてしまいました。
<総合的な窓口>
◇府支援対策総合相談窓口
電話075・414・5930(午前9時〜午後6時)
◇京都市震災支援総合案内コールセンター
電話0120・776797(午前8時〜午後9時)
<被災者からの相談>
◇震災 こどもの心 相談電話(京都市教育相談総合センター)
電話0120・123・817(平日午前10時〜午後7時)…被災児童生徒や保護者対象の心理的ケア
◇ふれあい・すこやかテレフォン(府総合教育センター)
電話075・612・3268または3301(24時間)…被災児童生徒や保護者対象の教育相談
◇子育て・女性健康支援コール(府助産師会)
電話080・6117・0311(平日午前9時〜午後5時)…妊娠・出産や育児、女性の健康について
◇電話無料法律相談(京都弁護士会)
電話0120・80・8585(祝日除く午後1時〜3時半)
<ボランティア希望者>
◇京都災害ボランティア支援センター
電話075・741・6001(水曜を除く午前11時〜午後8時)
8月17日朝刊
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◇「掘り起こしの会」発足 放射能の怖さ、訴え続ける
1951年7月に行われた綜合(そうごう)原爆展のパネルは、労働組合や青年団の要望で全国に貸し出され、原爆の実態が広く知られ始めた。同年、松江市の高校3年だった高橋正立さん(78)=大阪府交野市=も秋の校内文化祭のためにパネルを借りた一人だった。
敗戦の年に旧制中学に入学。8月15日は学校で、雑音混じりの玉音放送を聞いた。いつもは威勢を張って別の教員に暴力もふるうほどだった校長が、頭を抱えて大泣きしていた。一方、リベラルな考え方を問題視され、旧制松江高校の教授を辞めさせられていた父は「甘い砂糖が食べられるようになる」と笑顔だった。この身近な大人2人の反応は、新たな時代の到来を強く印象づけた。
敵軍の攻撃に備えた要塞(ようさい)作りなどの労働や訓練ばかりだった生活は、終戦で一変した。政治や人権をテーマにした演説会や討論会が開かれるようになり、これまでとは違う価値観に次々と触れた。
政治への関心が高まり、進学した高校では、討論会への参加や学内の世論調査などに取り組む「社会科学研究部」に入部。原爆展を開いたのは3年の時だった。秋の文化祭での出展を何にするか考えている時、部員の一人が「京大で原爆展のパネルを貸してくれるらしい」と提案したのだ。
展示は特に教員が熱心に見ていた記憶がある。中には広島で妻を亡くした男性教員もいた。じっくり展示を見て回った後、教員が同部の生徒にかけた「よくやってくれた」の言葉が忘れられない。
◇
52年には京都大に入学したが、綜合原爆展開催は前年のことで、高橋さんも郷里で開いた原爆展のことを語る機会は、ほとんどなかった。にもかかわらず、綜合原爆展に関わった川合一良さん(81)、葉子さん(80)夫妻=京都市北区=のお陰で、この時の経験を共有することができた。
夫妻は「日本での国民的規模での原水禁運動の始まりと言われるビキニ(1954年の米国によるビキニ環礁水爆実験事故)に先駆けて原爆の実態を伝えてきた歴史を残したい」との思いから91年「『原爆展』掘り起こしの会」を発足した。
同会は綜合原爆展に尽力した当時の教授へのインタビューや元学生へのアンケートなどを実施。日記や写真など、40年の月日を埋める資料が続々と寄せられた。会場の展示パネルに見入る人々の熱気あふれる姿を伝える貴重な写真は、掘り起こしの会を始めてから見つかったものだ。高橋さんは、92年にあった同会の会合で高校時代の経験を語った。
集めた資料は「『原爆展』掘り起こしニュース」と題した冊子や当時参加した学生の一人だった小畑哲雄さん(84)=八幡市=が執筆した本としてまとめた。聞き取りをした100本超のカセットテープや数十枚の写真など膨大な数の資料は現在、川合夫妻の自宅の本棚を埋める。
福島第1原発事故の影響の中で迎えた今年の夏は、当時の原爆展での写真を引き伸ばして作った新たなパネルの貸し出しが続いている。当時の学生の「原爆とは何か。知ったからこそ伝えたい」という歴史が受け継がれている。
◇
綜合原爆展の会場のエピローグのパネルは「新しいプロメテ(注・ギリシャ神話の神、プロメテウス)の火を原爆から解放して 平和と人類の幸福のための炬火とせよ」と結んでいた。小畑さんは「当時、原子力の利用はまだ暗中模索で、巨大なエネルギーが平和のために使えるかもしれないという希望もあった」と話す。
それから60年、世界には原爆の怖さが広まったにもかかわらず、核実験、劣化ウラン弾問題、原発事故など、原子力に関わる多くの問題が起こっている。「放射能が、後始末のできない怖いものとすでにわかっているはず」。決断を迫られる今、綜合原爆展を経験した彼らは訴えている。【成田有佳】=おわり
8月17日朝刊
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